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牧師のひとりごと

  • musashibiblechurch
  • 2022年4月4日
  • 読了時間: 8分

最近のメッセージより「十字架の目的」ヘブル書2章14−18節


 

I. 悪魔を滅ぼす

II. 死の恐怖から解放する

III. 罪のためになだめをする


復活祭が近づいてきて、私たちはまたもう一度キリストの十字架の意義について一緒に考えていく必要があると思います。もちろん毎週日曜日、私たちはキリストの十字架そして復活について 思いを馳せ、救いについて真剣に考え神様に感謝をする時を持っています。しかし、特にこの時期、キリストの十字架について考える事は非常に有意義であると思います。そもそも、私たちは 救われる前はどういう状況だったのかと言うことを思い起こすべきです。そもそも、私たちは滅びに向かって いることも知らず、自分の思ったように生きていました。 しかし、神様の方から私たちの罪を示し、滅びに向かっていることを知らせてくださり、それだけでなく、そこから救い出される方法も全て整えてくださり、私たちをそこに導いてくださったのです。


また、イエス様が私たちを救うためにどれほどの犠牲を払ってくださったのかということも考えるべきです。 罪のないお方が、私たちの罪を負って、罪人とされて、 父なる神から目を背けられました。 さらにののしられ、つばきされ、鞭でうたれ、最終的に十字架の上で死んでくださいました。その後、3日目によみがえられたのですが、その十字架の死ということを考えるときに、私たちはただただ言葉を失ってしまいます。少し想像しただけでもその苦しみは計り知れないということがわかります。


本日私たちは、ヘブル書の第二章から、イエス様の十字架の死と言う事について一緒に考えていきたいと思います。それによってまたもう一度神様に対する感謝と、献身の思いを新たにしていきましょう。


I. 悪魔を滅ぼす(14)


「、、、これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、」


聖書の中に、悪魔、あるいはサタン、と言う存在が記されています。イザヤ書14章とエゼキエル書28章によると、サタンはもともと天使長だったことがわかります。しかし神のようになりたいと言う傲慢な欲望からは堕落し、サタンとなってしまったのです。 悪魔は、創世記3章で、エバに嘘をつき、誘惑して、罪を犯させました。 ヨブ記においては、悪魔はヨブから全てを奪い、ヨブの家族の命をも奪います。さらに、ヨブの体を腫物で打ち、大きな苦しみを与えます。ヨハネ8章44節には次のようにあります。「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。」


黙示録を読んでみると、 悪魔は最終的にゲヘナに投げ込まれます「そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」(20章10節) 最終的に滅ぼされるのは、この時です。では、ヘブル書2章14節にあるように、キリストは「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし」とはどういうことでしょうか。それは、 すでにキリストの十字架によって、悪魔の滅びは確定したと言うことです。


ここで、創世記3章15節を見てみましょう。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」」 この後半にある、 「彼」と言うのは女の子孫です。そしてそれは、イエス・キリストのことを指しています(ガラテヤ4章4節)。すなわち、イエス様がサタン(へび)の頭を踏み砕く、とあるのです。 それは、いつのことを指しているのでしょうか。それは、イエス様が十字架の上で 死ぬときです。 だからこそ、悪魔はイエス様が十字架にかからないように、その前に殺そうとしたり(マタイ2章)、誘惑をしてメシヤとしての資格を無くさせようとしました。しかし、それは全く 無駄な抵抗でした。それは、「彼のかかとに噛み付く。」とある通りです。


イエス様の十字架の1つの目的、それは悪魔を滅ぼすと言うことです。イエス様の十字架により悪魔の滅びは確定していますが、残念ながら、悪魔は今でも働いています。 クリスチャンを誘惑し、がっかりさせるように、また未信者が滅びに行くように騙し続けるのです。

だから、エペソ6章11節にこうあります。「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」 私たちは、 常に目を覚まして、悪魔の策略に立ち向かうことができるために、神の武具を身に付けておかなくてはならないのです。そして、未信者の目が開かれるように祈り、また、忍耐を持って証しをしていく必要があるのです。


II. 死の恐怖から解放する(15)


「一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」


ヘブル書2章15節には、「人々を死の恐怖から解放してくださ」とあります。ローマ書6章23節に、「罪から来る報酬は死です。」とあります。 人はだれでも生まれつき罪人であり、日々罪を犯し続けています。神を無視して、神でないものを拝み、自分勝手な歩みをしています。それ自体が罪です。人に対する罪も犯しています。人のことを悪く思ったり、悪く言ったり、実際に、人を傷つけることもあります。そのような罪の結果は何でしょうか。それ死です。「報酬」と言うのは、労働しその対価として当然受け取るべきものです。 罪を行い、 当然受けるべきものが死なのです。


聖書の語る死には、3つの意味があります。「肉体の死」、「霊的な死」、「第二の死」です。 神様が、アダムに、善悪の知識の木から取って食べると死ぬと言われました。(創世記2章17節)。アダムはすぐにその場で死ななかったが(肉体の死)、霊的には死んだのです。 霊的な死とは、神様との関係において神だと言うことである。すなわち神様との関係が切れてしまった。その後、アダムは肉体の死を迎えます。(5章5節)ヘブル書2章15節に戻りますが、死の恐怖という時の「死」とは、主に肉体の死であり、さらには、その向こうにある第二の死を意味しています。(全ての人は既に霊的に死んでいます)


人は、死と言うものに対して恐怖を持っています。それだけではなく、その恐怖に縛られた奴隷であると言うのです。ある人は死が怖くないと言います。しかし、一方で、多くの人が死について話したくない、また、考えたくない、とも言うのです。たとえ、覚悟ができているとしても、そこに希望があるわけではありません。 肉体の死は必ずやってきますし、実は、その後にくる第二の死は、神の裁きののち、永遠に地獄で苦しむこと、すなわち永遠の滅びを指しています。第二の死がどのようなものかを知った時、その恐怖はこれまでに経験したことのある恐怖は比較にならないほどのものです。そして、人はその恐怖から逃げ出すことができないので、その奴隷であると形容されています。


今ウクライナでものすごいことが起きています。私たちは、その惨状をニュースや特別な番組で目にする。実際に、地下で恐怖に怯えている人たちの様子を見ると、本当に胸が締め付けられます。そしてもしそれが、今自分に起きていることだとしたら、どれほど恐ろしいだろうかと想像します。しかし、神の裁き、その後の滅びは 終わりのない恐怖、終わりのない苦しみなのです。イエス様はそこから私たちを解放してくださったと言うことなのです。私たちはどのようにその恵みに応えることができるでしょうか。


III. 罪のためになだめをする(17−18)


「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。」(17節)


旧約聖書の時代、大祭司は、年に一度、贖罪の日に至聖所に入って贖いをします(レビ記16章30節)。イエス様はここで「忠実な大祭司となるため」に、兄弟たち、すなわち人々と同じようにならなければならなかったとあります。(ヘブル書2章17節)それは、すなわち、わたしたちと同じ肉体を持つということです。そこに、クリスマスの意味があります。


「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(18節)


さらに、18節には、「ご自身が試みを受けて苦しまれた」とあるように、イエス様は地上の生涯全体において試みと苦しみを受けられましたが、そのクライマックスは何と言っても十字架にかかる前のゲッセマネの祈りに代表されるように十字架の苦しみと試みと考えられます。つまり、イエス様が肉体をとられたのは、自分自身をささげることによって大祭司としての役割を果たすためにこの地上に来られたのだ、ということなのです。


その目的は、「民の罪のために、なだめがなされるため」である。「なだめ」とは、神の怒りを沈めるということです。ローマ1章18節でお話ししたように、神は罪に対して怒っておられます。人は不義を持って真理を阻んでいて、その人々の不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているのです。神の怒りをなだめ、罪びとである私たちの罪の罰を身代わりに受けるために十字架にかかられたのです。


イエス様は、ご栄光を天においてこの地上に来られました。それは、ご自身を罪のための贖いとしてささげ、私たちが永遠の滅びから救い出されるためでした。この真理を私たちはしっかりと心に留め、思いを馳せ、神様に感謝し、ますます主に仕えていきたいのです。

 

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