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牧師のひとり言(2)

  • musashibiblechurch
  • 2021年11月15日
  • 読了時間: 8分

 

最近の礼拝メッセージより「パウロの生涯(26):キリストの復活の力」(使徒の働き26章1〜18節)


「あることがきっかけで人生が変わった」という人の話を聞くことがあります。たとえ、それが良い方向に変わったとしても、外面的な変化が主流でしょう。しかし、パウロの場合は内側からの変化でした。パウロはアグリッパ王の前で弁明するように促されますが。しかし、それは弁明というよりも、人生が180度変わったこと、そして、その変化が復活したキリストとの出会いによる内面的な変化であったことを証しなのです。ものごとの価値観と人生の目的が変わり、それがパウロの生き方へと反映されたのです。キリストを迫害する者から、キリストを伝える使徒へと変えられました。(これまでの経緯は「パウロの生涯(25)をご覧ください)


パウロがエルサレムに来てから一貫して死者(キリスト)の復活を主張しています。(23章6節、24章21節、26章8節)また、ローマ総督のペリクスにもそのメッセージは伝わっていました。(25章19節)


パウロの改心に関する記述は、使徒の働きに3箇所あります。(9章、22章、26章)9章は著者であるルカがその出来事を記していますが、22章と26章はパウロが自分自身で語っている箇所です。22章ではユダヤ人の群衆に向かって語っていますが、26章では、主としてアグリッパ王個人に証しをしています。事実は変わりませんが、場面によって、詳しく述べる点、省く箇所、強調する点が異なることも興味深いです。それでは、パウロが語った内容を簡単にお話しします。


パウロがサウロだった時

サウロはヘブライ語の名前で、改心する前に使っていた名前です。サウロは若い頃エルサレムで暮らしていましたので、多くのユダヤ人は彼の生活ぶりを知っていると言います(4節)。その生活は、厳格な派に従っており、パリサイ人として生活していたことを告げます。パリサイ人は、サドカイ人(リベラル的な考えを持っていた一派)とは対照的に、保守的で死者の復活を信じていました。ユダヤ人12部族の全ては神の約束を得たいと望んでいましたが、パウロはその希望のためにユダヤ人に訴えられていると言います。(7節)故に、神が約束してくださったこと、つまり、神が死者をよみがえらせるということを、信じがたいとすることはなぜか、と問うのです。もちろん、それは修辞疑問であり、当然、信ずべきことだと言いたいのです。


さて、次にパウロは自分が行ってきた迫害について正直に語ります。22章でも自分がクリスチャンを迫害してきたことを語っていますが、26章ではより具体的に語っています。(以下の表を参照)そこでパウロは、自分がどれほどひどいことをしてきたのかを正直に語ることで、自分の罪深さと神の愛を伝えています。彼は、自分を「罪人のかしら」と呼んでいます。(テモテへの第一の手紙1章13〜15節)


22章

26章

迫害し、男も女も縛って牢に投じ(4)

多くの聖徒たちを牢に入れ(10)

死にまでも至らせたのです(4)

彼らが殺される時にはそれに賛成の票を投じました(10)

すべての会堂で、しばしば彼らを罰して(11)

強いて御名を汚すことばを言わせようとし(11)

激しい怒りに燃えて(11)

ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました(11)

兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました(5)

祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスこへ行きますと(12)

そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れてきて処罰するためでした(5)


私たちは自分の人生を振り返ってみて、パウロのようにクリスチャンを迫害してこなかったとしても、創造主なる神を無視して、「自分の人生は自分のものだ!」と豪語して生きてきました。人に対して心ない言葉を発したり、ずるいことを考えたり、実際に行ったりしたかもしれません。自分の心の中と言動を正直に振り返る時、その罪深さを悟り、神の愛と恵みの深さを覚えるのです。


復活したキリストとの出会い


「キリストを迫害する者」から、「キリストを伝える使徒」へと変えられたのは、すでに十字架にかかり、よみがえられ、昇天されたキリストとの出会いによるものでした。


パウロの頭の中には、クリスチャンを迫害することしかなく、当然、キリストを求めている状態ではありませんでした。しかし、イエス様の方からご自身を現し、パウロに声をかけてくださったのです。まさに、ヨハネの手紙第一4章10節にある通りです。


「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」


天からの声はこういうのです。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」(使徒26章14節)パウロは、自分が迫害していたのは、間違いを信じる者たちのはずなのに、天からの声に「なぜわたしを迫害するのか。」と言われて唖然としたのではないでしょうか。そして、その方に反抗すると、結局自分に痛みを感じることになる、と言われます。


そこで、パウロは、「主よ。あなたはどなたですか。」と聞きます。すると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」という返事が返ってきました。パウロは自分が行ってきた迫害は、正当なことだと確信していました。しかし、その確信が一気に崩れ去るのです。死んだはずのイエス様は、天から自分に語りかけてくださっている神であることがわかりました。神であるイエス様に自分は反抗していたことを悟り、罪を悔い改めるのです。


クリスチャンの皆さん。あなたがイエス・キリストを信じた時のことを思い出してください。一人一人の経験は異なりますが、共通していることは、罪の自覚です。自分が神に対して反抗して生きてきたこと、そして、自分で行っている罪、人に言えないような心の中の醜さ、恥ずべきこと、人に対する心ない発言、そういったことが示されたのではないでしょうか。真っ当に生きてきたと思い込んでいても、それが神の前にさらけ出される時、なんと醜いことかと実感したのではないでしょうか。そんな自分に、神の方から語りかけ、そんな自分を神の方から愛してくださったことがわかったのではないでしょうか。


自分は真っ直ぐに生きてきていると言われる皆さん。実際のところ、誰ひとり、神の基準に達することはできません。その基準に照らし合わせて、正直に心の中を探るなら、どれほど自分が罪深いかが示されるはずです。示されるなら、迷わずイエス様を呼び求めてください。罪が示されていながら、イエス様を呼び求めなければ絶望です。しかし、イエス様は私たちを愛してくださっており、確かな希望をくださるのです。


キリストを証しする使徒へ


イエス様がパウロに現れたのは目的がありました。それは、イエス様がパウロにご自身を現し、パウロを召して遣わすということでした。使徒26章16−17節で5度(ギリシャ語では6度)繰り返されている言葉があります。それは、「あなた」ということばです。「わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに(あなたを)遣わす。」これは、一体何を意味しているのでしょうか。少なくとも、神様はパウロを個人的に召し、パウロを神様ご自身が遣わされる、ということは言えるでしょう。それは私たちクリスチャン一人一人にも言えるのではないでしょうか。神様は、一人一人に現れ、一人一人に御心を示し、一人一人を遣わされるのです。


それでは、イエス様がパウロを遣わされる時に、パウロがなすべきことはなんでしょうか。それは、パウロと同様にユダヤ人も異邦人も救われるために働くことでした。では、救いとはなんでしょうか。それは、18節に記されています。


「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」(使徒の働き26章18節)


まず始めに、彼らの目が開かれる必要があります。なぜなら、人は生まれつき罪びとで、霊的な真理について目が閉じているからです。それは、「暗闇」を歩んでいて、「サタンの支配」にあるからです。


「その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。」(コリント人への手紙第二 4章4節)


人は意識していませんが、実際にサタンが働いて目をくらませていて、福音がわからないようにしています。


そこへ、パウロが遣わされるというのです。暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせるためです。そこには、罪の悔い改めが含まれます。


そして、イエス様を信じる信仰によって、罪の赦しを得させることだとあります。罪の赦しには、罪に対する罰を受ける必要があります。しかし、誰ひとり自分の罪を赦していただくために、十分な罰を受けることができません。その結果、自分の罪のために地獄で永遠に苦しみ続けます。しかし、キリストが身代わりとなって十字架で罰を受けてくださったので、キリストを信じる人は罪の赦しを得ることができるのです。


罪の赦しを得た人は、「聖なるものとされ」ます。天国に罪をもって入ることはできません。キリストを信じた人だけが聖なるものとされ、天の御国を受け継ぐことができるのです。それは、自分を愛してくださって、ひとり子さえ犠牲にしてまで自分を救ってくださった方のもとに行き、そこで永遠に暮らすことになるのです。


パウロは、そのメッセージをもって遣わされることになります。パウロの生涯を追って使徒の働きを読んでいくと、まさにその通りにパウロは生きてきたことがよくわかります。


クリスチャンの皆さん。救われて遣わされるのはパウロだけのことでしょうか。神様はパウロを召されたように、私たち一人一人をも召して、パウロを遣わされたように私たち一人一人をも遣わされます。クリスチャンであれば、救いのメッセージをもっています。遣わされている家庭や職場、友人、知人、誰にでも機会があるたびに伝えることが御心ではないでしょうか。


キリストをご存知ない皆さん。意識していなくても、あなたはサタンに思いをくらませられています。暗闇を歩んでいるのです。光はイエス様だけです。人生には様々な苦しみが伴います。その多くは自分の罪、人の罪によって引き起こされたものです。苦しみが辛くて、どうしてもそちらにばかり目が行きがちですが、根本的な問題、つまり、自分の罪を赦していただくことが必要なのです。光であるイエス様を求めてみませんか。









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