牧師のひとり言
- musashibiblechurch
- 2021年11月10日
- 読了時間: 8分
最近の礼拝メッセージより「パウロの生涯(25)地上の裁きと神の裁き」(使徒の働き25章13−27節)
こんにちは。単立バプテスト武蔵聖書教会の牧師です。このブログでは、日曜礼拝でお話ししたメッセージから特に印象に残ったことなどを中心に分かち合いたいと思っています。
聖書には馴染みのない方も読んでいただきたいと思っておりまして、少々くどい説明と思われることもあるかも知れませんが、ご容赦いただきたく思っております。
ここ半年ほど、「使徒の働き」からパウロの生涯をたどっています。今回で25回目ですから、これまでの経緯を簡単に説明いたします。パウロは以前、ヘブライ語名であるサウロと呼ばれていました。サウロはユダヤ人で保守派であるパリサイ人として生まれ、育てられました。教会とクリスチャンを迫害してきており、それが正しいことだと信じていました。(ピリピ書3章5節、使徒の働き22章3節)
しかし、ダマスコ(現在のシリヤのダマスカス)のクリスチャンを捕えるために向かっていたその途上、キリストの声を聞くのです。イエス・キリストはすでに十字架にかかり、復活し、昇天しておられました。天からイエス様がサウロに語りかけられたのです。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞きました。どなたですかと聞くと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」という答えが返ってきました。(使徒の働き9、22、26章)
その後、パウロは聖霊によって召されて、アンテオケからアジア、マケドニヤ、アカイア(現在のトルコとギリシャ)に向けて伝道旅行に出かけていくのです。2度目と3度目の伝道旅行で、エルサレムに行きますが、後者の時には滞在中のカイサリアで、アガボという預言者からエルサレムで捕えられて異邦人に渡されることを聞きます。周囲は当然止めるのですが、パウロは死ぬことさえ覚悟している、と言ってエルサレムに向かいます。(使徒の働き21章13節)アガボの預言通り、パウロはユダヤ人に捕えられて打ち叩かれるのですが、騒ぎを聞きつけてやってきたローマの千人隊長によって保護されることになります。暗殺計画を知った千人隊長ルシヤは、カイサリアにいるローマ総督のペリクスのもとへとパウロを護送します。ペリクスは形だけの裁判をしますが、結局、次の総督フェストが着任するまで2年間にわたってパウロを監禁していました。それはパウロから金を貰いたい下心があったと記されています。(使徒の働き13章〜24章)
着任早々、フェストはエルサレムに上りますが、ユダヤ人指導者はパウロを調べる件について自分たちに好意を持ってくれるように懇願します。それには耳を貸さなかったフェストではありますが、いざパウロを裁く段になると、ユダヤ人の歓心を買おうと思って、パウロに対して、「あなたはエルサレムにのぼり、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と尋ねるのです。決して公正な裁判を受けられないと悟ったパウロは、カエサル(ローマ皇帝)に上訴すると宣言します。(使徒の働き25章1−12節)
さて、ここから本題に入ります。状況を確認しましょう。
場面:カイザリヤ
地中海沿いの壮大な町は、ヘロデ大王によって建てられ、初代ローマ皇帝、アウグストウス・カエサルに因んでカイサリアと名付けられました。ツロとエジプトを結ぶ幹線道路に位置し、隊商が行き交う商業の中心でした。また、港が整備されていて、その地方の海上貿易の中心地でもありました。イエス・キリストを十字架刑に処する決定をしたピラトはこの地を総督の居留地と定めました。
登場人物
フェスト:当時の総督で、前任者のペリクスからパウロの件を引き継ぎますが、ユダヤ人の歓心を買おうと、パウロを犠牲にしようとします。
アグリッパ(2世):ヘロデ・アグリッパ1世の長男。ヘロデ大王の曾孫、ヘロデ・アンティパスは大叔父にあたります。ベルニケと共に就任したばかりのフェストを表敬訪問します。
ベルニケ:ヘロデ・アグリッパ1世の長女。13歳で叔父に嫁ぎますが、叔父が亡くなると兄であるアグリッパのもとで生活します。ベルニケは兄との間で近親相姦があったと言われています。さらに、後の皇帝テトスの愛人にもなります。
パウロ:ローマの千人隊長、そして総督も、パウロが罰を受けるような罪を犯していないと認めていました。しかし、2年にわたって軟禁状態に置かれ、カエサルに上訴することになります。しかし、それは神の御心でもありました。それは、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(23章11節)と主はパウロに語られていたからです。
外側を着飾った罪深いアグリッパ王
アグリッパ王の父はヘロデ・アグリッパ王1世ですが、彼は使徒ヤコブを迫害して処刑してしまいます。(使徒の働き12章)大叔父、ヘロデ・アンティパスはバプテスマのヨハネの首をはねます。(マタイ14章)また、アグリッパ王の曽祖父は生まれて間もないイエス・キリストを殺そうとして、その地方ほ2歳以下の男子を皆殺しにします。(マタイ2章)本当にゾッとするようなことをやってきた家系なのですが、アグリッパ王はそのような残酷なことをしたとは記されていません。しかし、上記にありますように、妹であるベルニケとの近親相姦の記録が残っています。
そんなアグリッパとベルニケが「大いに威儀をを整えて」やって来ました。それは、紫の衣を身につけて、宝石や冠も身につけてと考えられます。二人が周囲の人々にもてはやされている光景が目に浮かびます。この二人の内側と外側はなんと対照的でしょうか。しかし、私たちもそのような側面があるのではないかと思ったのです。外側は立派とまではいかなくても、何も問題がない、という顔をしてしまいます。しかし、実は心の中で「失敗した!」とか、「なんて自分は醜いんだ!」という後悔や罪悪感に苛まれているのではないでしょうか。
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16章7節)
真理を語る神のしもべ:パウロ
ここで、もう一つのコントラスト(対比)に目を止めていただきたいのです。それは、罪深いながらも外側を着飾っているアグリッパ王とは対照的なのが、どんな状況においても真理を語り続けるパウロです。パウロは2年間も牢に繋がれていて、容貌は決して魅力的とは言えず、服装も粗末なものであったでしょう。パウロは、すでにカエサルに上訴しているわけですから、アグリッパ王の裁きを受ける必要はなかったのです。しかし、この機会をアグリッパ王に対する伝道のチャンスとして捉えているのです。
パウロはすでにイエス・キリストを信じていて、その罪が赦されています。そして、ローマの法に触れるようなことは一切していないことはローマの総督が認めていることです。そのパウロが罪深いアグリッパ王に弁明しなければならない状況とは一体どういうことでしょうか。
神の裁きに対する備え
最後に、これからやってくる裁きについてお話ししたいのです。神は私たちを「神の栄光を表す」という目的をもって創造されました。故に神の目的に沿って生きたかどうかを裁かれるのです。しかし、神に反抗し続けて、罪が赦されていない状態では、神の栄光を表すことができません。
「人は一度死ぬことと、死んだ後に、裁きを受けることが定まっている。」(ヘブル人への手紙9章27節)
裁くお方は、罪のない完全なお方で、そして、私たちの心の中も全てご存知の神様です。そして、裁かれるのは、私たち罪深い人間です。実際、神の前に立った時、すでに有罪は確定し、永遠の滅びが決まっています。決して言い逃れができません。弁護する方もいません。すでに手遅れです。この地上に生きている時に、自分が神様に対してどれほど罪深い存在かを認めて、罪を告白し、その罪のために私たちの身代わりとなって十字架にかかって死んでよみがえられたイエス・キリストを信じるなら、幸いなる天国に入ることができます。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ人への手紙10章9節)
クリスチャンに対する裁きもあります。キリストを信じる人は幸いなる天の御国に入ります。それは神様が保証してくださっています。しかし、それぞれに与えられた人生において神の御心を第一に生きてきたかが問われます。
「なぜなら、私たちは皆、キリストの裁きの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」(コリント人への手紙 第二 5章10節)
私たちは皆、神の裁きの備えをしなくてはなりません。備えとは、前もって行うものです。先に伸ばすのではなく、今、この地上に生きている間に行わなければなりません。
「あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」(アモス書4章12節c)
今まで死んだ後のことについて考えてこなかったという皆さん。どうか、永遠をどこで過ごすのかを真剣に考えてください。死は終わりではありません。むしろ、死は永遠の始まりです。自分の罪を悔い改め、キリストを信じる人は一人も滅びることがなく永遠の天国に入ります。しかし、神を無視し続け、キリストを信じない人は永遠の地獄が定まっています。神はあなたを愛しています。神の愛はキリストによって表されました。キリストを受けれませんか。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
クリスチャンの皆さん。キリストを信じてからどのような歩みをされていますか。永遠に目を留めて歩むなら、今何をすべきかが自ずと見えてくるのではないでしょうか。
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