牧師のひとり言
- musashibiblechurch
- 2022年1月11日
- 読了時間: 7分
最近の礼拝メッセージより「救い主イエス・キリスト(1)イエス・キリストの系図(マタイの福音書1章1〜17節)
新約聖書を初めて手に取る方の多くは、きっとここで読み進める気持ちがなくなってしまうでしょう。自分を導いてくれた宣教師は、「とりあえず読み飛ばすように」と教えてくました。旧約聖書を何度か読んだ人には馴染みのある名前が見あたるのですが、初めての人にとっては、中身を読む前から「聖書は難しい」という印象を受けてしまうでしょう。しかし、今回、敢えてこの箇所を取り上げてみたいと思います。
それでは、そもそもなぜマタイはキリストの系図から始めたのでしょうか。当然、意図があったはずです。それは、イエス様をキリストとして受け入れようとしないユダヤ人に対して、このお方こそ、旧約聖書に預言されているメシヤであることを示そうとしているのです。1章21節には、「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」とあります。このことを伝えたかったのです。
ダビデの子孫
旧約聖書には、メシヤ預言が数多く記されています。メシヤとは、「油を注がれた者」という意味です。旧約聖書において特別な任務を受けて油を注がれる人々がいました。それは、預言者、祭司、王です。旧約聖書において、「メシヤ」ということばは39回使われていますが、そのうち30回はその時代に生きていた預言者、祭司、王について用いられています。一方、9回は将来生まれてくる人物、ダビデの家系で、王として生まれてくると約束された方、すなわちイエス・キリストを指しているのです。(「キリスト」とは、ギリシャ語で「油を注がれた者」という意味です。)
例えば、第一サムエル記2章35節にはこうあります。「わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こそう。わたしは彼のために長く続く家を建てよう。彼は、いつまでもわたしに油そそがれた者の前を歩むであろう。」(参照:第一サムエル2章10節、詩篇2篇2節、20篇6節、28篇8節、84篇9節、ハバクク3章13節、ダニエル9章25、26節)。
旧約聖書におけるメシヤ預言について学ぼうとする時、メシヤを表す表現は他にもあることに気がつきます。代表的なものとして、「主のしもべ」(イザヤ書53章、他)があります。また、旧約聖書の人物がメシヤの予表(型)となっている場合も多くあります。主の使いとしてキリストが旧約聖書に現れる箇所もあります。しかし、それらについては、また別の機会にご紹介するとして、今回はダビデの子孫ということに注目したいと思います。
神様はサウルの後に、ダビデを選び、ダビデを祝福されてきました。例えば、詩篇89篇28節には、「私の恵みを彼(ダビデ)のために永遠に保とう」とあります。また、第2サムエル7章13節には、「あなた(ダビデ)の家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」とあります。イザヤ9:6-7「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
マタイの福音書には、イエス様に対して「ダビデの子」という表現が8回用いられています。面白いことに、指導者たちではなく、群衆であったり、盲人、カナン人の女、子ども達がそのように呼んでいるのです。彼らは、イエス様を歓迎している人、受け入れる人、求めている人たちでした。例えば、マタイ9章27節には、「イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、『ダビデの子よ。私たちをあわれんでください』と叫びながらついて来た。」とあります。マタイはイエス様こそダビデの子であり、正真正銘、メシヤであることを示したかったのです。
アブラハムの子孫
ユダヤ人にとって、アブラハムという人物は彼らの誇りでした。自分たちはアブラハムの子孫であると主張しています(ヨハネ8章39節)。 ルカは、その系図をアダムに遡りますが(ルカの福音書3章23−38節)、マタイはアブラハムから始めています。
神はアブラハムを選び、このようにおっしゃいました。「 あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」 (創世記12章1から3節) 同様の約束が22章18節にも繰り返されています。アブラハムは人類全体の救いを象徴していると言えます。
神様は、ユダヤ人を通して異邦人にも救いを与えることを意図されていました。その1つの証拠として、 この系図の中に4人の女性が含まれていることが挙げられます。
・タマル(3節): 遊女のふりをして、義父(ユダ)を誘惑し、子をもうけました(創世記38章)。
・ラハブ(5節): エリコの街の遊女であったが、神を恐れ、斥候を隠しました(ヨシュア記2章)。
・ルツ(5節): モアブ人でした。
・ウリヤの妻(バテシェバ)(6): バテシェバはユダヤ人であったが、その夫ウリヤはヒッタイト人でした。ダビデはウリヤが戦場にいる間、バテシェバを召し入れ、妊娠するとウリヤを戦場で死なせ、彼女を妻に迎えますが、その子は亡くなりました。 その後、ダビデとバテシェバの間にソロモンが生まれます(第2サムエル記11−12章)。
この4人の女性に共通する事は、異邦人である、あるいは、異邦人と見做されているということです。 また、 タマルは遊女のふりをし、ラハブは遊女をなりわいとしていました。また、ウリヤの妻、バテシェバはダビデと不倫をします。 これらのエピソードには、人の罪が浮き彫りにされています。いやそれだけではありません。ここにリストされている多くの人は、様々な罪を犯しているのです(旧約聖書を読んでみてください)。
現代であれば、スキャンダルとして取り上げられるかもしれません。しかし、わざわざそのような家系にイエス様がお生まれになったのは、罪人を救うと言う目的のためでした。他人事ではありません。自分のような罪人が救われるためにイエス様が、この地上に人の肉体をとって生まれてこられたことをただ感謝します。そして、どのような罪人であっても、それがたとえ犯罪であっても、イエス様はその人を救うことができるのです。
さらに、ここから福音書の最後、28章19ー20節に繋がっていきます。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」教会は全世界に福音をのべ伝える働きを担っているのです。
ヨセフの妻、マリヤの子
17節によると、この系図は3つに分けられていて、それが14代でまとめてあります。実際には、省かれている名前もあるので、 14代と言うのは意図的です。その理由については定かではありませんが、ダビデの名前が、ヘブライ語のアルファベット(d-w-d)を足すと、14になるからという説もあります。
バビロン移住からキリストまでが14代になる、とあります。 13節のアビウデ以降の名前は、この箇所にしか記されていません。ここで一つ注目しておきたいことは、神様の守りです。70年に及ぶバビロン捕囚が始まると、ダビデの王座はなくなります。しかし、その家系は守られ、ヨセフに続いていくのです。
この系図は、明らかにヨセフの系図です。しかし16節によると、「マリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。」とある。これは、一体どういうことなのか、と読者は思うのです。その疑問に対して、18節から説明されているのです。(18節から25節の箇所については、次回にお話しします。)
神様は御約束を守られて、ダビデの子としてイエス様を与えてくださいました。この方こそ救い主キリストなのです。皆さんは、神様の壮大なる救いのご計画を垣間見ました。人が罪を犯してすぐに、救いの希望を与えられました(創世記3章15節)。そして、約束通りにアブラハムの子孫、ダビデの子孫として、処女マリヤからお生まれになりました。是非、聖書を読み、探求して、イエス・キリストを信じて頂きたいと心から願っております。
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